追悼・看板モルモットのモエ [季節の話]

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 当店の看板モルモットだった[モエ]が急死した。言葉が出ない。特に自分にとっては辛い一日となってしまった。

 自分の父は生涯一度だけ犬を飼ったことがある。エアデールテリア。中型以上の大きさで東京のど真ん中で飼うのは、大変だったと思う。正直、自分は小さくて少しの記憶しかないけれど...。父はすごく犬を可愛がり、毎日ご飯をやり、話しかけていたと聞いたのは、父親の一周忌のあと、思い出話として聞かされたのを思い出した。

 その頃の父の気持ちが少しだけわかる気がした。

 東京も、それも中野駅前で育った自分は、小学校の校庭もコンクリート、直線では出来ず、曲線で80mしか取れない、小さなグランドの小学校を卒業した。別に動物に興味があるなし、よりも、日々雑踏の中に足早に歩く人並みの中での生活は動物とは無縁だったと思う。

 名古屋に来て、紆余曲折。独立。しばらくして本来の性格か?単なる気まぐれか?は別にして小動物に目覚めて、うさぎ、モルモットと店には、常に看板動物がいた。モエとだぶって、初代ニャースケ、現在の2代目ニャースケ・クリスティーヌと続く看板動物たち。

 モエは最長寿命だった。それまでのモルモットと違い、食事も自分でセーブできる賢い奴だった。店に来たころは、よく自分のおなかや胸・肩の上に乗って寝ていたのを思い出す。
 たまたま店の敷地に迷い込んだ、初代ニャースケ。野良ネコが家ネコに、看板ネコになり、それでも、お互いに意識はしているように見えるものも、モエもニャースケも一定の距離を置いて、仲良く?生活していた。それでも自分の中に、ニャースケを店内に入れたために、モエとのスキンシップが少なくなった、ちゃんと見ていないのではないか、という罪悪感があった。

 週に何回か立ち寄るコンビニなどで、モエの大好物のレタスやえだ豆を買って店に帰るのが、ずっと習慣だった。去年の12月31日で離職した元店長の家で老後?を過ごしていた。それでも、何かの拍子で元店長と会うと、出来るだけレタスを手渡していた。それが、老後をお世話になる人への仁義であり、いつも、ずーっと一緒にいてやれなかったモエへの感謝の気持ちだと思ったから。

 店の神棚には、亡き父親の遺影と初代ニャースケの写真が置いてある。今日から、モエの写真も神棚に飾った。今、傍らには二代目ニャースケ・クリスがずっと付き添ってくれている。自分の家族や周りには、わからないが、今日のクリスは、毎日よりずっと傍にいてくれている。

 時は残酷だけれど、優しい気持ちも運んでくれる。
「有難う、モエ。必ず、また一緒に仕事しような!!」
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